クリティカルな時代がクリティカルな精神を求める
メディア制作者もメディア消費者も、私たちは私たちが読んでいるもの、聞いているもの、見ているものに対してクリィカルである必要があります。
情報は良くも悪くも変化の原動力としてふるまいます。クリィティカルな視聴者は簡単には誤報や情報操作の餌食にはなりません。自由な社会に生きる質の高いジャーナリズムとクリィティカルな視聴者は、世界を救うことのできる健全な情報環境のもと、ともにこれらの私たちの時代の課題に取り組みます。
それはジャーナリズムにとって危険な時代
政治的、技術的、経済的な変革はメディアの景観を変えつつあります。伝統的なメディアが利益や視聴者を減少させる一方で、新しい技術を用いた業者がニュースの主流となりました。そしてメディアと視聴者の分離はジャーナリズムの質と信頼性に影響を与えつつ、その伝統的な役割に疑問を投げかけています。
噂やデマ、感情に訴える情報操作は私たちの意見に影響を与え、憎しみや怒りに満ちた暴力を駆り立てることができます。
間違った情報を暴くためには批判的で調査能力のあるジャーナリズムが不可欠です。ジャーナリストや市民ジャーナリスト、地域記者、メディア専門家、そのいずれであっても、そのような記事は徹底した調査や事実確認を行うことが必要であり、それによって多様で多元的な意見を反映するさまざまな声を浮き彫りにすることができるのです。
それは報道の自由にとって危険な時代
世界中のメディアとジャーナリストは、公共の利益に関わる問題について、市民に情報を提供したり価値の高い記事を公表しようとして嫌がらせを受けたり、さらには殺害されることさえあります。
4日に一人、メディア関係者が仕事のために殺されています。表現の自由への基本的な権利が、社会のすべての人々に影響を与えながら、もっとも残忍な方法で制限されています。ジャーナリストやメディア関係者への犯罪が許されるという風潮が急速に拡大し、強い動きとなっているのです。
メディアはどのようにしてより公正で平和的でインクルーシヴな社会に貢献できるのだろうか?
メディアはすべての人のために公正をもたらす手助けをします。
そのために、ジャーナリズムは調査によって腐敗や不正を明らかにします。そして、透明性と説明責任をもったガバナンスを持ち、ジャーナリストを守るための法律を推進し、メディア関係者に対する犯罪を犯した犯人の訴追を求めます。
メディアは平和に貢献することができます。
そのために多様な経験を声にし、コンフリクト・センシティブな(紛争を助長しない)専門的な記事を作り、ヘイトスピーチや対立する政治見解によって分断されてしまった社会ではとりわけ相互理解を促進し、偏見をなくし、間違った情報の拡大に対抗します。
メディアは情報を有し、参加することができるよう、すべての人々をエンパワーメントすることができます。
今日、これまで以上にインターネットやデジタル技術によってこのような機会が得られたことは感謝に値します。個々人が制限なく情報にアクセスできてこそ、私たちは公的な監視によって説明責任を持つ公共機関を持つことができます。そしてさまざまなコミュニティをより良いものにするために、十分な情報を得て、政治的な判断をすることができるようになります。多様で多元的なメディアは、若者や種族的言語的な少数民族、障がいを持っている人、周辺に追いやられていると感じている人や権利を剥奪された人の声をすくい上げるとともに、芸術的自由のある環境の中で公的な意見の場に参加し、意見形成に関われるようにします。また、多様なメディアは、パフォーミングアートや音楽、ビジュアルアートなどを通じて多様で現代的な文化表現の普及と促進を可能にします。メディアは、真のインクルーシヴをめざし、ジェンダーによるステレオタイプ化を避けつつ、男性女性のバランスのとれた表現を行います。
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